2011年3月31日木曜日

ジョイント日記 第3日目

青陵高校 新2年 Sax 小林萌香

今日は、全員合奏と課題曲中間発表会と頑張ろう会がありました。
全員合奏では、「ありがとう」の合わせがあり皆パート練習を真剣に行い、合奏に向けて頑張っていました。そして合わせは、指揮者の指示や意見を聞いて行動に移したり、また意見を聞き直す努力しました。
課題曲中間発表会では、どの学校も大会への思いが伝わってくる演奏で曲を聴いている人たちも、静かに集中していてとても良い発表会になりました。

頑張ろう会は、どの学校も面白い出し物をしとても良い息抜きになり、これまで関わりのなっかた人とも交流ができ何よりも「これから気合い入れて頑張るぞ!!」と言う、気持ちになれました。

今日はいつもより、他の学校との交流ができ各学校の課題曲を聴き、その曲を聴いての意見を吸収することによってより良い曲作りができた1日でした。
この調子で、学んだことを生かしながら他の学校との交流を深め、作り上げたものをこの音楽にしてホールに響かせられるようにこれからも集中して取り組みたいです。

2011年3月30日水曜日

ジョイント日記 第2日目

山の下中学校 新2年 Tb 佐藤佳奈里

午前の「Jupiter」「夕ぐれの祈り」の合唱で、たくさんの人が積極的に意見を言い合っていたので、良い雰囲気だと思いました。
しかし、「声が小さい」や「表情が暗い」など基本的な指摘が多かったです。
私から見て、時間が経つにつれて姿勢や反応が悪くなっていたと思うので、少しずつ改善していけたらより良いものができると思います。

チーム練習では、今日が初めてでとてもドキドキしていました。
いつも中学でやっているのと違うバランス練習をやったり、音量のバランスを考えながらの合奏だったり、一つ一つが新鮮でした。
チーム全員、一生懸命取り組んでいたと思います。
ただ、「自分以外のパートがやっているときの態度が悪い。」「反応が悪い」などの反省が出たので、有効に時間を使い、理解したらすぐ返事をすることを全員で心がけていきたいです。

午後の合唱で、福富先生には「強弱のつけ方」、星野先生には「口の開け方」、関根先生には「音の向き」について教えていただいたので、学んだことの一つ一つをどの曲にも生かせるようにしていけると良いと思います。

今日は、チーム練習でも合唱でも「音量」のことを何回も言われていたので、明日は言われなくても出来るようにしたいです。

2011年3月29日火曜日

ジョイント日記 第1日目

東京学館新潟高校 新2年 Tp 生田葉月

今日は初めての合同練習でした。
パートやチームに分かれ、オリエンテーションをして、自己紹介や一人一人ンニックネームを決めるなど、親交を深めていました。
練習を始めたころは、まだみんな緊張している感じでしたが、お昼の時には学校・学年関係なく会話がはずみ、笑顔でとても楽しそうでした。
明日の練習も、今日より一つでも多くのことを学び、改善していけるように頑張りたいです!

2011年3月27日日曜日

COMING SOON

この度発生した東北地方太平洋沖地震により被災されました皆さま、 そのご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。
多くの方々の尊い命が失われた事に、謹んでお悔やみ申し上げます。

2011年3月9日水曜日

千の風になって~20世紀の墓

田村文生:「20世紀の墓」Le Tonbeau du XXe siècle
この曲は、「千の風になって」の編曲である・・・ということに、当初はなるはずでした。しかし、原曲が非常に広く知られているという事実、また、その旋律的特徴は、私の「編曲」という作業を、限りなく「作曲」へ仕向けるものでした。
音楽の創作は、作曲家の霊感や想像力によって、あるいは神からの啓示によって、全く何も無い状態から「創作」されるもの、といったイメージがあるかも知れませんが、それは本当に、全て霊感の為せる技であり、神の仕業なのでしょうか?詩歌において「本歌取り」という手法がありますが、音楽においても同じことが言え、著名な作品の様式や技法を模倣したり、旋律を引用・借用したりすることは、長い歴史を振り返ってみるとむしろ常識であり、それ自体が「創作」であったと言っても過言ではありません。多少大袈裟な表現をすると、世の中の作品全てが、多かれ少なかれ「本歌取り」の側面を持っていると言うことができるのではないでしょうか。そうなってくると、作曲とは、新しく創作されたものなのか、あるいは、既成の作品を改変した「編曲」なのか、という区別は非常に曖昧になってきます。そのような意味においてこの作品は、「千の風になって」を本歌取りした新しい曲ということになりますが、実はこのような判断は、これを書いた私がするものであると同時に、受け手(本日お聴き頂く皆さん・聴者)でもあると言えるでしょう。
 さて、編曲(作曲?)に際し、原曲の旋律を眺めてみると、それは非常にシンプルな要素で構成されていることが解りました。しかし同時に、この曲の歌い出しである「私の~」の部分の(音階名で表すと)「ソ・ド・レ・ミ」、また、曲を特徴付ける旋律の動きである「泣かないで下さい~」の「ド・レ・ファ・ミ」(「ないでく」の部分)は、西洋音楽史的には、非常に大きな意味を持つものです。「ソ・ド・レ・ミ」は、実に様々な音楽の旋律の出だしに用いられ、枚挙にいとまがないですが、「ド・レ・ファ・ミ」は、グレゴリオ聖歌の「パンジェ・リンガ(歌え舌よ)」の旋律として、あるいは、ジュピター主題(モーツアルトの交響曲第41番4楽章の主題)として、西洋音楽の世界では古くから知られていました。「千の風になって」のトレードマーク的な部分にそれが表れるという事実は、音楽の歴史的繋がりを私に意識させることになりましたが、今回の編曲に際しては、それは、この作品と20世紀の西洋芸術音楽との関連として表れ、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、バルトークなど、20世紀前半から中葉にかけての作曲家達の様式を模倣することとなりました。
ラヴェルには「クープランの墓」という作品があります。これはラヴェルがクープランに代表される18世紀のフランス音楽へのオマージュ(賛辞)として書いたものですが、各楽章は第1次世界大戦で戦死した友人に捧げられています。「千の風になって」を基としたこの作品を、私は20世紀音楽へのオマージュとして作曲していましたが、その途中、東日本大震災が起ってしまいました。大戦こそ回避可能な努力がされている現代の社会においても、天災を防ぐ術を持たない我々の無力感を実感せずには居られませんでしたが、同時に、私を含め、現代に生きる作家による音楽の存在意義を問うことにもなりました。被災した方々の一日でも早い回復を、そしてまた、吹奏楽を通じて音楽活動を行っていた被災者の皆さんが、再び、楽器が吹け、演奏会ができるようになる日が、一日でも早く来るよう願うばかりです。
犠牲者・被災者の方々に、この曲を捧げたいと思います。
田村 文生(たむら ふみお)
東京藝術大学大学院およびGuildhall School of Music and Drama, London大学院修了。
これまでに作品がアジア音楽祭、東京の夏音楽祭、国際現代音楽協会音楽祭(香港)、Festival Angelica等、世界各地で演奏されているほか、Vallentino Bucchi国際作曲コンクール、文化庁舞台芸術創作奨励特別賞、朝日作曲賞などに入選・入賞。
吹奏楽の分野では、「饗応婦人」、「かわいい女」、「アルプスの少女」、「残酷メアリー」、「葵上」、「百頭女」などの吹奏楽曲を作曲する一方、バッハ、シューマン、リスト、スクリャービンらの鍵盤音楽の吹奏楽化も行っている。神戸大学准教授。神戸女学院大学、神戸シルバーカレッジ、姫路生涯学習大学校各講師